鳳林院ヘッダ

茨城県 曹洞宗 
萬松山 鳳林院の歴史

当院は、応永年間(1394-1428)初期に小川城(現茨城県小美玉市)の出城である高原城主(現茨城県小美玉市竹原中郷)高原四郎影政公(応永3年(1396)5月13日示寂)の開基により開山されたと説されるが、古文書類は消失し現存しない。その後、文明13年(1481)丑3月、時世後土門天皇御代、将軍足代九代義尚公の戦国に入り、願主は定かでないが、日立大雄院二世信中永篤【しんちゅうえいとく】大和尚を拝請し、開闢と過去帳には記される。

90年の歳月の後、天正年間に府中(現茨城県石岡市)の出城、竹原城(鳳林院西方に城跡現存)主、竹原四郎義邦公(天正6年(1578)6月晦日示寂)により、田畑土地一切の寄進を受け菩提寺として再興され、慶安元年(1648)8月には徳川三代将軍家光に朱印十石と賜り、七堂伽藍を具備し、隆盛を誇った由緒ある禅宗の名刹である。

しかし数回にわたる災いを被り、古文書類は一切消失し、現在の本堂は明治36年(1903)に再建され、地域民人の和平福寿を祈願し、世の栄枯盛衰怒濤の歴史を苔むすが如き深山静寂の中で、躍如とさせ500年以上の間、檀信徒の結束のもと現在にいたる。