鳳林院額

茨城県曹洞宗
萬松山鳳林院 縁起

当院は、応永年間(1394~1428)初期に小川(現小美玉市)の出城、高原城主高原四郎影政公(1396年示寂・現小美玉市)の開基により開創。のち1481年3月、大雄院二世信中永篤大和尚(現日立市)を拝請し開山となる。約100年後の天正年間(1573~1592)に府中(現石岡市)の出城、竹原城主竹原四郎義邦公(1578年示寂・現小美玉市)が田畑土地一切の寄進をして中興開基となり、竹原城主の菩提寺として再興される。

さらに1648年8月には、江戸幕府三代将軍徳川家光公に朱印十石を賜る。近代明治期の廃仏毀釈では、この朱印により破却を逃れる。当時は、完全な寺院が具すべき七堂の建物、山門・仏殿・法堂・僧堂・庫院・浴司・東司の七堂伽藍が整備され、多くの修行僧が日々厳しい修行の中で仏教を学んでいた伝統ある禅宗の寺院である。しかし、2度の火災により山門以外の伽藍はすべて焼失してしまう。

鳳林院の院名である鳳凰は、平和な世にのみ姿を現し、飛翔する時には、その徳により雷も嵐も起こらず、河川も荒れず、草木も揺れないという。さらに鳳凰は、60年に一度実る竹の実を食し、梧桐を唯一の止まり木にするといわれる。当院の寺紋が五七桐紋なのは、この古事によるものである。古より院名寺紋に鳳凰飛来の願いを込め、地域民人の和平福壽を祈願し、世の栄枯盛衰怒濤の歴史を苔むすが如き深山静寂の中で躍如とさせ、500年以上の歳月を相承される。

本尊

釈迦牟尼仏

本山

福井県 永平寺 御開山 高祖道元禅師
神奈川県 総持寺 御開山 太祖瑩山禅師

本寺

日立市 大雄院 当院開山 大雄二世 信中永篤大和尚

末寺

東海村 長松院 末寺開山 鳳林二世 雪渓道瑞大和尚
水戸市 東漸院 末寺開山 鳳林二世 雪渓道瑞大和尚
成田市 医王院 末寺開山 鳳林六世 暁天秀初大和尚

院額

大本山永平寺六十七世 北野元峰禅師 揮毫